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作品情報 | 映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

イントロダクションIntroduction

山形国際ドキュメンタリー映画祭2013アジア千波万波部門出品作品

2010年12月、かけ出しの映画監督の太田は、ひとりの友人を自殺で亡くした。彼の名は増田壮太(そうた)。かねてより壮太とバンド仲間の冨永蔵人(くらんど)を撮影していた太田にとって、そのショックは大きかった。10代のバンドコンテストで優勝するほど音楽の才能に恵まれ「ミュージシャンになる」という強い夢を持っていた壮太がなぜ———。一方、壮太に誘われバンドを組んでいたものの、何がやりたいのか自分でも分かっていなかった蔵人は、徐々に壮太と袂を分かち、就職することで自分の居場所を見つけはじめる…。

本作はそんな3人の若者たちをめぐるドキュメンタリー。監督は岡田利規が主催するチェルフィッチュに俳優として参加するなど、多彩な活動でも知られる新鋭・太田信吾。「映画を完成させてね、できればハッピーエンドで」という壮太の遺言と実直に向き合い、時にはフィクショナルなカットも織り交ぜながら、「表現とは何か、自由とは何か」を模索する長編初監督作として完成させた。

ストーリーStory

2010年の12月、27歳で自らの命を断った増田壮太の後半生がこの映画で描かれる。かつて17歳の時に10代のバンドマンたちのコンテストで優勝した彼にとって、「音楽で食う」ことはただの夢ではなかったはずだった。彼は「音楽の才能」にあふれていたはずだったのだ。

高校の後輩として、ステージの上で輝く壮太の過去を知っている監督の太田が、カメラを通して壮太と再開を果たす。しかし、壮太がリーダーを務めメジャーデビュー間近だったはずのバンドは壮太以外のメンバーの大学進学を機に解散していた。一人上京しプロデビューを目指した壮太は、現実の厳しさから薬に頼ってしまう。カメラが映し出すのは、かつてのように友達も多く、来場者を魅了していた壮太ではなかった。やがて彼はオーバードーズで死の淵を彷徨い、当日付き合っていた彼女や家族との相談の上、地元の埼玉に帰ることになる。

太田同様、壮太に憧れを抱き、音楽活動をしていた蔵人に誘われ、やがて壮太は地元で彼とともに音楽活動を再開させることになる。だが、蔵人はあくまでも音楽活動を趣味として楽しみたいと思っていた。一方で壮太はプロとして、クオリティの高い音楽で客を魅了したいという信念があった。二人の溝はゆっくりと広がり、破綻する。壮太はかつてのバンドメンバーに連絡を取り、地元埼玉でライブを行うが、8月14日というお盆の時期に重なったためか、壮太が望んだほどには来場者の数は多くはなかった。

蔵人は長野の旅館に就職し、温泉で働きながら音楽活動をしていた。ひょんなことから撮影者の太田信吾と壮太は蔵人の働く旅館に遊びにいく。そこで壮太が目にしたのは、村の文化祭で多くの村民の拍手を受ける、蔵人のピアノの演奏であった…

それから約1ヶ月後、壮太は自殺を決行する。自身の思い出と愛情に満ちあふれた、地元の公園で。
映画は、既に死者となった壮太を想像した死後の世界のフィクショナルな映像とともに進展する。それは、死者の声をなんとか代弁しようとする監督自身の思いでもあり、傍にいながらも救えなかったという後悔や懺悔の念が、書かれたテキストの力強さと対照的に、発話される声の微細な震えから、伝わってくる。

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